インテジャーズ

INTEGERS

数、特に整数に関する記事。

Q&ABC (その8)

せきゅーん: 今日の話を聴いて生じた疑問があったんだっけ?


ラムネ: rの関数F(r)に対して

\displaystyle F(\mathrm{rad}(abc) ) > c

が全ての or 有限個の例外を除くABCトリプル対して成立するようなF(r)を追求しているものと考える。このとき、F(r)=rが駄目ってのが話の出発点で、StwertとTijdemanの最初の定理によって

F(r)=r\log r

で駄目どころか

\displaystyle F(r)=r\exp\left( (4-\delta)\frac{\sqrt{\log r}}{\log \log r}\right) \tag{14}

でも駄目だった。

\displaystyle F(r)=r^{1+\varepsilon} \tag{15}

でOKというのがABC予想であり、

\displaystyle F(r)=r\exp(Kr^{15})

であれば比較的簡単に示せるとうのがStwertとTijdemanのたった今証明を紹介してもらった定理だ。


さて、今日生じた質問というのは(14)(15)の間についてだ。ABC予想よりも深い予想も存在しそうだ。F(r)はどこまで小さくできるのか。


せきゅーん: いい質問だね。それに関連する話題としてベイカーの予想を以前紹介したことがある。明示的ABC予想 - INTEGERS


ただ、これはF(r)に数論的関数\omega(r)を使ってしまっているから挙動は複雑である。もっと簡単な関数で君の質問に答えるようなものがないかについての研究もいくらかなされているのだけれど、2014年のRobert-Stewart-Tenenbaumの論文*1によれば正の定数C_1, C_2が存在して

\displaystyle F(r)=r\exp\left(4\sqrt{\frac{3\log r}{\log\log r}}\left(1+\frac{\log\log\log r}{2\log\log r}+\frac{C_1}{\log\log r}\right)\right)

でOK、

\displaystyle F(r)=r\exp\left(4\sqrt{\frac{3\log r}{\log\log r}}\left(1+\frac{\log\log\log r}{2\log\log r}+\frac{C_2}{\log\log r}\right)\right)

で駄目と予想されている。根拠は確率的heuristicとのこと。


ラムネ: そ、そんなに精密な予想があるのか。\expの中身の\sqrt{\log r}に着目すれば、StwertとTijdemanの最初の定理は中々いい結果に思えてきた。実際にC_2の予想に到達するにはまだまだギャップがあるのだろうけど。


せきゅーん: 2014年の論文では上記予想(= Conjecture A)を更に精密化した予想(= Conjecture B, C)およびそのheuristicな導出が議論されているから興味があったら勉強して私に教えて欲しい。


ラムネ: 余裕があれば。何はともあれ、ABC予想について前よりはわかった気がする。どうもありがとう。


せきゅーん: 今回はあくまで整数の性質として議論してきたけれど、スピロ予想やヴォイタ予想との関係性という重要なトピックについては触れられなかった。


ラムネ: あ、もう1つ質問なんだけどホッジ劇場って何であんな定義をするの?


せきゅーん: おっと、もう用事の時間だ。その質問は今度にしてくれ。では。

*1:A refinement of the abc conjecture, Bull. London Math. Soc. 46 (2014), 1156-1166.

Q&ABC (その7)

せきゅーん: 存在性が好きだから、ABC予想もいくらでも説明のしようがありそうなもんだけど、無理矢理「お助け素因数」の「存在性」として語ってみたりもした。

ところで、ABC予想の応用で私が好きなものに「非ヴィーフェリッヒ素数の無限性」がある。ヴィーフェリッヒ素数は知っているかい?


ラムネ: 19033511でしょ?


せきゅーん: それらは確かにヴィーフェリッヒ素数だ。有名なフェルマーの小定理を思い出すと、奇素数pに対して必ず合同式

2^{p-1}\equiv 1\pmod{p}

が成り立つのだった。一方、

2^{p-1}\equiv 1\pmod{p^2} \tag{6}

は成り立つpもあれば成り立たないpもある。(6)が成り立つ奇素数pをヴィーフェリッヒ素数といい、成り立たない素数pを非ヴィーフェリッヒ素数という。詳しくは1093と3511について - INTEGERSなどを見て欲しい。


ヴィーフェリッヒ素数の探索については、p=1093,3511の2つが知られているのみで、他にあるのかないのか、ヴィーフェリッヒ素数は有限個しかないのか無限個存在するのかは未解決問題だ。私のようにheuristicな議論をもとに無限個存在するだろうと信じている人もいて、やはり数値例だけでは有限性や無限性は語れないこともわかる。


これはとても難しい問題だが、実はそれよりはるかに簡単そうに聞こえる「非ヴィーフェリッヒ素数が無限に存在すること」も全く簡単ではない。


ラムネ: 10933511しかヴィーフェリッヒ素数が知られていないということは、有限範囲での数値的なデータとしては殆どが非ヴィーフェリッヒ素数なんだよね。なのに、無限性を証明することは難しいのか。


せきゅーん: そうなんだ。そして、シルヴァーマンがなんとABC予想を使って非ヴィーフェリッヒ素数の無限性を証明した。「〜素数の無限性」なんて私が最も好きな数学の主張の型といっても過言ではないぐらい好きな存在性定理であるが、ABC予想の応用のポテンシャルは「有限性定理」に対してだけではなかったんだ。


ラムネ: ほえ〜〜。すごいなABC予想。一体どうやってABC予想をこの問題に使うんだ?


せきゅーん: ほれ: 非Wieferich素数の無限性とABC予想 - INTEGERS


ラムネ: う、もう書いていたか。さすがだな。


せきゅーん: でも実はABC予想から非ヴィーフェリッヒ素数の無限性を導出する方法はシルヴァーマンとは違った方法もあるんだよ。また後日(=おまけ)聴いて欲しい。


ラムネ: 是非とも。


せきゅーん: これで疑問は解消されたかな?


ラムネ: 聞こうと思ってて今思い出した疑問が1つと、今日の話を聴いて生じた疑問が1つある。


せきゅーん: どうぞ。


ラムネ: ABC予想って\varepsilon < \varepsilon'のときに\varepsilonに関する主張が成り立てば、\varepsilon'に関する主張も成り立つんだよね?


せきゅーん: そうだね、\mathrm{rad}(abc)^{1+\varepsilon'} > \mathrm{rad}(abc)^{1+\varepsilon} > c を睨むとよい。さっき、\varepsilon < 1 に限定した議論をしたときの限定していい理由とも言える。


ラムネ: すると、\varepsilonが大きければ大きいほど証明が簡単になるかもしれない。ヨビノリさんの動画だと\varepsilon=5億のときに例外的ABCトリプルが有限個でもびっくりしないという旨のことを述べておられる。で、質問としては\varepsilon=5億に対するABC予想だったら簡単に証明できるのだろうか。


せきゅーん: うーん。証明となると難しいんじゃない?

5億って人間的には大きい数かもしれないけれど、無数のABCトリプルを相手にすると5億なんて特に大きくはない。実際、StwertとTijdemanは鳩の巣原理を使う議論をしたやつと同じ論文で、ある定数K > 0が存在して全てのABCトリプル(a,b,c)に対して


\displaystyle c < \exp\left(K\cdot\mathrm{rad}(abc)^{15}\right) \tag{7}


が成り立つことを証明しているんだ。もし、\varepsilon=5億の場合が簡単に証明できるんだったら上の評価は全く無価値ということになってしまう。


ラムネ: 証明の概略だけでも教えてもらえると嬉しい。


せきゅーん: (a,b,c)をABCトリプルとして、(7)が成立することを示したい。今回はp_1,p_2,p_3,\dotsa,b,cの素因数として現れる素数を小さい順に並べたものとし、a,b,cの素因数のうち最大のものがp_nであるとしよう。すると、e_i,f_i,g_iを非負整数として

\displaystyle a=p_1^{e_1}\cdots p_n^{e_n},\quad b=p_1^{f_1}\cdots p_n^{f_n},\quad c=p_1^{g_1}\cdots p_n^{g_n}

素因数分解される。このときの指数の最大値をhとおこう。

\displaystyle h:=\max\limits_{1\leq j\leq n}\{e_j,f_j,g_j\}.

すると、

\displaystyle c=p_1^{g_1}\cdots p_n^{g_n}\leq p_1^{h}\cdots p_n^{h}

なので、

\displaystyle \log c\leq h\log(p_1\cdots p_n)=h\log r \tag{8}

と評価できる。ここで、r:=\mathrm{rad}(abc)=p_1\cdots p_nに注意。今我々はcrの式で上から押さえたい気持ちになっているが、この評価をもとにしようと考えれば、hrの式で上から評価できればいいことになる。


ラムネ: ふむふむ。そのようなことは可能なのか?


せきゅーん: p進ベイカー理論を使う。超越数論におけるゲルフォント・シュナイダーの定理の一般化としてのベイカーの定理については証明をこのブログで紹介したことがある: ベイカーの定理の証明 - INTEGERS


実際はベイカーの対数一次形式の理論にはeffectivityが備わっていて、極めて強力な応用性がある。例えば、虚二次体の類数の問題に応用できる: ベイカーの定理と類数1の虚二次体の決定 - tsujimotterのノートブック


ここではWikipediaの記事の系5に注目して欲しい。これのp進版として、StwertとTijdemanは次の形の定理を利用している:


p素数n2以上の整数、A\geq 4, B\geq e^2とする。このとき、0でない絶対値がA以下であるような整数a_1,\dots,a_nと絶対値がB以下の整数b_1,\dots, b_nに対して

\mathrm{ord}_p(a_1^{b_1}\cdots a_n^{b_n}-1)=\infty

または

\displaystyle \mathrm{ord}_p(a_1^{b_1}\cdots a_n^{b_n}-1) \leq (16(n+1))^{12(n+1)}\frac{p}{\log p}(\log A)^n\cdot (\log B)^2

が成り立つ。


ラムネ: なるほど、これはどうやって示すの?


せきゅーん: 先ほど「概略」と要求されたので、こちらは割愛させていただく。

さて、a,b,cの中にその素因数分解において指数にhを実現するものが存在する。そのようなものの1つ(a,b,cのいずれか)をa'としよう。p_i^h \mid a'となるような番号iが存在するが、そのようなiを1つとってp=p_iとおこう。


また、ABCトリプルの関係性を適当に書き直せば

a'=c'-b'

という形の関係が成り立つ(b',c'a,b,cのうちa'を除く残りの2つの\pm 1倍)。このとき、b',c'a'と互いに素なのでpでは割り切れないため、


\displaystyle \infty > h=\mathrm{ord}_p(a')=\mathrm{ord}_p(c'-b')=\mathrm{ord}_p(c'/b'-1)=\mathrm{ord}_p(\pm p_1^{b_1}\cdots p_n^{b_n}-1)


の形の等式が成立する。ここで、b_1,\dots,b_nは整数であり、a,b,c素因数分解の設定からどれも絶対値はh以下である。

上述のp進ベイカーの定理を、n+1, 上記のb_1,\dots,b_n および b_{n+1}\in \{0,1\}, p=p_i, A=p_n, B=h, a_1=p_1, \dots, a_n=p_n, a_{n+1}=\pm 1に対して適用しよう。すると、

\begin{align}
h&\leq (16(n+2))^{12(n+2)}\frac{p}{\log p}(\log p_n)^{n+1}\cdot (\log h)^2\\
&\leq 2(16(n+2))^{12(n+2)}\cdot p_n\cdot(\log p_n)^{n+1}\cdot (\log h)^2\end{align} \tag{9}

hに関する評価が得られる。これを解析していこう。


ラムネ: すごい!これまでの議論でABC予想に肉薄するためには「a+b=c」という構造に真剣に向き合う必要があって、唯一行った議論が確率的解釈だったわけだけど、ここではp進付値の議論が見事にマッチしている。


ちなみに、p_n\geq 4, h\geq e^2がでないとp進ベイカーの定理を応用できないけれど、これらの条件が満たされないケースは例外として処理すれば今の所望の不等式(7)を示すにあたっては問題ないね。


せきゅーん: 以下、c_1,c_2,\dotsは絶対定数とする。i番目の素数q_iと表す。これは既にp_iという記号を使ってしまったからだ。とにかく、p_i\geq q_iが成り立つが、ロッサーの有名な定理

q_i > i\log i

を使うと、

\displaystyle r=\mathrm{rad}(abc)=\prod_{i=1}^np_i > \prod_{i=2}^ni\log i

と評価できる。n!についてはスターリングの公式より

\displaystyle n! \geq c_1\left(\frac{n}{e}\right)^n

と評価する。また、アーベルの総和公式によって

\displaystyle \sum_{i=2}^n\log\log i > c_2n\log \log n

なので、

\displaystyle \prod_{i=2}^n\log i > \exp(c_2n\log \log n)=(\log n)^{c_2n}

と評価できる。この2つを合わせると

\displaystyle r > c_1\left(\frac{n(\log n)^{c_2}}{e}\right)^n

が得られる。

\displaystyle 16(n+2))^{n+2} \leq c_3\left(\frac{n(\log n)^{c_2}}{e}\right)^n

なので、

16(n+2))^{n+2} < c_4r\tag{10}

を得る(c_4は好きなだけ大きくとっていいことに注意しておく)。特に (n+1)^{n+1} < c_4r なので、例えば

\displaystyle \frac{10(n+1)}{19} < \frac{\log( (n+1)^{n+1})}{\log\log( (n+1)^{n+1})} < \frac{\log(c_4r)}{\log\log(c_4r)}\leq \frac{\log(c_4r)}{\log\log r}

と評価でき、

\displaystyle n+1 < \frac{\log(c_5r^{1.9})}{\log\log r} \tag{11}

となる。明らかに

p_n\leq r \tag{12}

なので、(11)により

\displaystyle (\log p_n)^{n+1}\leq (\log r)^{n+1} \leq (\log r)^{\frac{\log(c_5r^{1.9})}{\log\log r}}=c_5r^{1.9}. \tag{13}

(9)(10), (12), (13)を代入することにより、

\displaystyle \frac{h}{(\log h)^2} < c_6r^{14.9}

を得る。

\displaystyle \sqrt{h} < \frac{h}{(\log h)^2}

より

\displaystyle \frac{1}{2}\log h < \log c_6+14.9\log r

とでき、すなわち \log h < c_7\log r とできるため、(8)より

\displaystyle \log c \leq  h\log r < c_6r^{14.9}(\log h)^2\cdot \log r < c_6c_7^2r^{14.9}(\log r)^3 < c_8r^{15}

と所望の評価式(7)に到達した。

Q&ABC (その6)

せきゅーん: 予想が出たら数学者は皆それを証明しようと挑戦するんだ。それですぐに証明されてしまって「やっぱりそこまで凄くはなかった」と判明する場合もあるだろうし、普通のありふれた定理の1つになる場合もあるだろうし、「得られた証明によって凄さがわかった」となる場合もあるだろう。でも、ABC予想の場合は30年近く全く歯が立たなかった。そういう挑戦を受け続けてきたからこそ、ABC予想は有名になって「何か非常に奥が深いところまで数学を見ないと証明できないに違いない」という感情も生まれたんだと思う。


ラムネ: なるほどな。


せきゅーん: そして、ABC予想にはもう1つの著しい特徴があった。色々な数学者がABC予想に関する研究に取り組んだ結果、ABC予想から他の様々な数学の定理や未解決問題が証明できるという、異常とも言える応用性の高さが判明したんだ。その応用性を持って「ABC予想は凄い」と思う人は増えたと思う。


ラムネ: らしいね。とは言ってもフェルマーの最終定理(FLT)関連についてしか知らないけど。


せきゅーん: 望月先生の仕事によってABC予想がこの10年弱、話題になり続けているけれど、FLTとの関係性については何故だか本当に人気があるよね。ただ、当時はFLTは未解決だったから、それを解くための1つのアプローチとしてABC予想が考えられたのだったっけ?忘れたけど。


ラムネ: で、実際のところ他にどんな応用が知られているんだっけ?


せきゅーん: ABC予想は「特定の条件 (\mathrm{rad}(abc)^{1+\varepsilon} < c) を満たすような方程式 (a+b=c) の解は高々有限個」という形の主張だから、「特定の方程式の解の有限性」にはめっぽう強い応用性を持つ。根基の定義から方程式に冪が現れる場合が特にそうだ。


未解決問題だと、例えばブロカールの問題についてn!+1=m^2の整数解の有限性が導出できたり、ピライの予想 (正整数kを固定したときのx^a-y^b=kの形の方程式の整数解の有限性)、a^x+b^y=c^zの形の方程式を扱うビールの予想の反例の有限性などが導出できる。


ピライの予想の特別な場合であるカタラン予想やビールの予想の特別な場合であるFLTは既に解決されているが、それらを弱くした「反例の有限性」は今述べた通りABC予想から導出される。


FLTを例にとると、x^n+y^n=z^nの整数解の有無を考察するわけだが、x,yは互いに素と仮定してよく、すると(x^n,y^n,z^n)がABCトリプルとなる。ABC予想は大抵の場合 \mathrm{rad}(x^ny^nz^n)z^nと比較して小さくならないと言っているにも関わらず、\mathrm{rad}(x^ny^nz^n)=\mathrm{rad}(xyz) \leq z^3 となってしまい、nがある程度大きければこれはz^nと比較して必ず小さくなる。だから、そのような整数解はあるとしても有限個だ。


ラムネ: ABC予想を仮定した場合の議論だね。わざと「お気持ち」風に述べているのは、厳密な記述は昔の記事に書いてくれてるからだね。


せきゅーん: ああ、後は(1+\varepsilon)乗を考慮に入れるだけだが。フェルマー方程式の成り立ちにくさがABC予想のおかげで認識できるよね。でも、ABC予想そのものは「有限性」しか述べていなくて、「例外は何個以下である」の「何個」の部分については具体的に教えてくれていない。一方、上記ディオファントス方程式の未解決問題達は大抵「例外はこれだけ」とか「例外は一切ない」といったことまで予想されている。そして、カタラン予想やフェルマーの最終定理はその意味で既に解決されているのだから、ABC予想で別証明としてそこまで導出できるかどうかが気になるのは致し方ないのかもしれない。


ラムネ: でも主張の性質上、期待はできないと。ただ、ABC予想を強化するということは考察してもよくて、「例外的なABCトリプルは選んだ\varepsilon > 0に対してはN(\varepsilon)個以下ですよ」、というN(\varepsilon)を具体的に予測・決定できればそういう強い結果まで導出できるようになるんだよね。


せきゅーん: うん。解説記事や書籍ではそのような強いヴァージョンのABC予想についても言及して、フェルマーの最終定理の完全なる別証明のプランも提示することが多い。


ラムネ: ただ、それを読んだ人が何故か「強いヴァージョン」という部分を省略してしまって「ABC予想からフェルマーの最終定理を証明できるのに感動した!」などとSNS等で呟くからデマが広まってしまうんだね。


せきゅーん: ここでちょっと「強い」とか「弱い」という名称について話してもいいかな。数学の命題PQについて、P \Longrightarrow Qの関係にあるとき(そしてQ\Longrightarrow Pの関係にはなさそうということも要求するかもしれない)、「PQより強い」、「QPより弱い」などと表現することがある。更に、Qが「X定理( or 予想)」という名前で呼ばれているとき、Pは「強いX定理( or 予想)」と呼ばれ、Pが「Y定理( or 予想)」という名前で呼ばれているとき、Qは「弱いY定理( or 予想)」と呼ばれることがある。一旦、このルールが標準的なものと仮定させて欲しい。


ラムネ: うん。


せきゅーん: まあ名称は数学そのものとは無縁だからどうでもいいのだが。ルール通りいけば「X定理 = 弱い強いX定理」なんてことにもなりかねないけど、そうなったら名称付けの本来の意義を逸脱するだろう。


普通は何かメインの「X定理( or 予想)」があって、それはPの立場のこともあればQの立場のこともある。それに対して「強いX定理( or 予想)」とか「弱いX定理( or 予想)」と名付けられる関連する命題を考察することはあるけど、メインの「X定理( or 予想)」がなくて「強いX定理( or 予想)」と「弱いX定理( or 予想)」のみがある状況って普通ないと思うんだよね*1


ラムネ: 探せば例外はありそうだけど、「普通」と言ってるから納得しよう。総称としての「X定理( or 予想)」の中身が「強いX定理( or 予想)」と「弱いX定理( or 予想)」の2つの部分からなるというケースはありそうだ。


せきゅーん: 何が言いたいかというと、メインの「ABC予想」のことを極めて最近になって「弱いABC予想」と表現する人がいるけど、それは良くないと思うということだ。


ラムネ: まあね。弱い強いABC予想と呼ぶならいいけど、いや冗談だけど、それにABC予想自体が全然弱くないという点も「弱いABC予想」と言いたくない気持ちをプラスにする。


せきゅーん: ちなみにABC予想よりも本当に弱くて「弱いABC予想」と呼びたくなるものは他に存在する。まずは、この記事で紹介した「密度0版」だ。ただ、これは既に見た通り簡単に証明できてしまう。他にも根基の部分を取り替えて弱くした「弱いABC予想」もある*2


ラムネ: 本当に弱くしたヴァージョンが知られているなら、なおさら本来のABC予想には「弱い」はつけるべきではなさそうだね。


せきゅーん: 次に「強いABC予想」についても少し。さっきも話題に出た「N(\varepsilon)を具体的に予測・決定」するという形での強化が考えらえる。ちなみに、ABC予想 - INTEGERSに書いたようにABC予想というのは \varepsilon > 0毎に\varepsilonのみに依存する定数C_{\varepsilon} > 0が存在して

\displaystyle c < C_{\varepsilon}\mathrm{rad}(abc)^{1+\varepsilon}

全てのABCトリプルに対して成立するといっても同値である。


ラムネ: 例外が有限個になってしまえば、今度こそは「定数倍」で例外を完全に消せるんだね。定数倍と累乗の合わせ技だ。


せきゅーん: この形で見た場合には、ABC予想の強化としてC_{\varepsilon}を具体的に決定する問題が考えられる。おそらくはさっきの「N(\varepsilon)を具体的に予測・決定」の少し強いぐらいの主張になっている。


ラムネ: 例外の個数だけを扱うか、例外の大きさまでを扱うかの違いだね。


せきゅーん: そうして言いたいことは2点。1つ目は「 C_1=1」と取れるという予想があって、これを「強いABC予想」と呼んでいる事例がよくあることに対する違和感だ。ABC予想は任意の\varepsilon > 0を扱っているのだから、この予想が言えたからといってABC予想は従わない。だから、これを指して強いABC予想とは呼ぶべきではないだろう。


ラムネ: それこそ、特定の\varepsilonに限定することによる弱化について、「強い弱いABC予想」なら正しい。よく見ると、君の記事では単に「強い予想」と書かれているな。


せきゅーん: 何かと比較せずとも強いよな。フェルマーの最終定理が出るわけだし。2つ目は「C_{\varepsilon} > 0を具体的に与えることまで要求した予想」については確かにABC予想よりも強いので「強いABC予想」と呼ぶのは構わないが、もっと相応しい用語があるということだ。


ラムネ: "Effective ABC conjecture" とかそれに類する呼び方だね。


せきゅーん: そう。「強いX定理( or 予想)」だとどの方向にどれぐらい強いのかということまでが分からないけれど、この場合はC_{\varepsilon}を"effective"に計算したいという明確な内容があるからそちらで呼んだ方がよりよいということだ。


ラムネ: ただ、"effective"って定訳がないよね。


せきゅーん: まあねえ。すまん、これ以上話しても「そんなのどうでもいいやん」っていう読者の声が聞こえてきそうだからやめておく。


ラムネ: 読者?


せきゅーん: 話を戻そう。ABC予想は特定の方程式の整数解の有限性を示すのに強い応用性を持っているという話をしていたが、「有限性定理」への応用としては絶対に語るべきものに「ロスの定理」と「モーデル・ファルティングスの定理」がある。


ロスの定理とは「実代数的無理数\in(\overline{\mathbb{Q}}\cap\mathbb{R})\setminus\mathbb{Q}無理数度は2である」という大定理であり、そこへ到達するまでに数々の歴史があったが、最終的にロスが1955年に証明した。「ロスの定理」といえば等差数列に関する定理も有名であるが、ロスは二十代の後半にこれらの大定理を立て続けに証明してフィールズ賞を受賞した。


ラムネ: 無理数度の定義にかえって主張を理解すると、実代数的無理数\alpha有理数による近似の精度を

\displaystyle \left|\alpha-\frac{a}{b}\right| < \frac{1}{b^{\mu}}

という形で\mu > 0で測るとき、\mu=2だったらこのような有理数が無数にとれるけど(ディリクレの近似定理 - INTEGERS)、\mu > 2となった瞬間に有限個の有理数しかとれないという定理だね。無理数度が\alphaの次数以下だということだったら簡単に示せるのだった。

ロスの定理の主張はABC予想の主張と似た香りがするね。


せきゅーん: 似た香りのする有限性定理ではあるが、冪乗のついた特定の方程式の解の有限性への応用に比べれるとその関係性はそこまで自明ではない。


次のモーデル・ファルティングスの定理であるが、これはモーデルが1922年に予想し1983年にファルティングスによって解決された。ファルティングスはこの業績をもってフィールズ賞を受賞している。ここでは、その主張を「有理数体上定義された種数が2以上の代数曲線の有理点の個数は有限個である」と紹介しておこう*3


これらの2つの大定理とABC予想との関係性について、1991年にエルキースが

ABC予想 \Longrightarrow モーデル・ファルティングスの定理

を証明し、1994年にボンビエリが

ABC予想 \Longrightarrow ロスの定理

を証明した。1999年のvan Frankenhuysenの論文が参考になるが、これらの導出には類似性があって、ロスの定理とモーデル・ファルティングスの定理は密接に関係している*4


ラムネ: フィールズ賞の受賞理由となった2つの定理が両方ともABC予想から導出できるのか。それは凄いな、ABC予想


せきゅーん: これらのimplicationsは「ABC予想が証明できればこれらの定理の別証明が得られる」という数学的な観点よりも「数学における歴史的大定理達よりも強いんだから、そりゃあABC予想はものすごく凄い予想でしょう」という納得感が得られることの意義の方が大きいように思える。ロスの定理やモーデル・ファルティングスの定理は既に証明されているのだから別証明を見つける必要性はある意味ではないしな。


とは言っても私個人は別証明を考えることは数学において意義深い行為だと思っているし、ABC予想的理解こそがロスやモーデルの重要な理解だという考え方もあり得る。ただ、リーマン予想とかもそうだが、あまりに応用性が高いと「ということは私には証明できそうにもないな」というマイナス方向に思考も行きやすい。


何はともあれ、ロスの定理やモーデル・ファルティングスの定理という、それらの凄さも初見ではわからないだろうけれども、数学の歴史上極めて重要な定理と認識されてきた定理達をいとも簡単に導出できてしまうABC予想は本当の本当に凄い予想と言えるだろうということだ。これは主張を眺めても瞬時に判断できることではなく、長年の数多くの数学者の研究の成果の上に立って初めて納得できることだ。


ラムネ: 確かに。こんな予想は自分には立てられそうにもない。


せきゅーん: 主張を理解するのは簡単かもしれないが、正しく意義深い予想を立てることは全く簡単ではない。知人の数学者が言っていてなるほどと思ったことであるが、もっともっと予想を立てることが数学の世界で評価されていい。予想を立てるということはとても素晴らしいことだ。今回の話で言えば、マッサーとエステルレも歴史的大偉業をなしたと言えるだろう。


ラムネ: うむ。そういえばロスの定理もモーデル・ファルティングスの定理もともに「有限性定理」という意味ではABC予想と似た香りをしているけれど、何か意外な応用は知られているの?


せきゅーん: その質問には個人的趣味全開の解答をさせてもらおう。ロスの定理やモーデル・ファルティングスの定理が極めて重要な定理であるということに異論はないけれど、数学的重要性とは無縁に個人的好みとして、私は「存在定理」がめっぽう好きだ。今回の話で言えば「鳩の巣原理」でABCトリプルの存在性だけを示した議論などはものすごく興奮する。「数学的対象物の存在性」に目がないので、むしろ有名なフェルマーの最終定理なんかは「解がないなんて残念(涙)」というような場合によっては非難されかねない感情も持っている。そんな観点から、有限性定理も個人的には特段好みの定理ではない。


ラムネ: まあ好みは人それぞれだけど、数学の好みってのは多かれ少なかれみんなありそうだよね。それが各々の専門を分けることにも関与していそうだし。

*1:ちょっとこの意見は正しくなかったかも。

*2:Kevin A. Broughan, New Zealand Journal of Mathematics, vol 35 (2006), 121-136.

*3:ABC予想を数体上に拡張すれば、ファルティングスの定理の数体版も導出できる。

*4:ABC予想からロスの定理とeffective版モーデル予想の両方を含む定理を導出することができる。