松坂俊輝さん(九州大学)との共著論文をarXivにプレプリントとして公開しました:
arxiv.org
これは、環
の世界における超越数論を論じた世界で4番目の論文です。
最初の3つはAnzawa-Funakura [AF], Luca-Zudilin [LZ1], Luca-Zudilin [LZ2]です。
環
という世界は一般的には全く有名ではないですが、最近tsujimotterさんが紹介記事を書かれましたので、ぜひ、そちらも合わせてお読みください:
tsujimotter.hatenablog.com
著者としては論文の隅々まで面白いと思っていますし、できればその全てを説明したいところなのですが、今回はその一部を取り上げてアウトリーチしたいと思います。
取りあげるのは
の超越性と
の無理性です。
どうしても大学数学の基本的知識がないと読めない部分もあるかもしれないですが*1、先ほど紹介したtsujimotterさんの記事ではかなり丁寧に説明されているので、先にそちらを読んでおくと理解度があがると思われます。
とはいえ、本当に伝えたいことは、実際にやっているのは「何とか素数の無限性」なのであって、初等的に述べることができます。例えば、今回の論文で
を満たすような素数の無限性が証明されています。
Anzawa-Funakuraの数
のソ超越性
前節で紹介した通り、Fibonacci数列から自然に定義される
は(Rosenの意味での)代数的数であり、それは超越数の例にはなっていませんでした。人工的にソ超越数の例を構成することは実は簡単で、Anzawa-Funakuraの論文でも一つの例が紹介されています。ですが、より自然なというか、あるいは数論的と呼びたくなるようなソ超越数の例が欲しいところです。
ではダメなわけです。このようなモチベーションにおいて、Anzawa-Funakuraは環
における超越数論の世界初となる論文*3 [AF] において、面白い数を考察しました。
それは「Fibonacci数列の
-類似」から構成されます。数学では「
-類似」と呼ばれるものがよく研究されています。例えば、自然数
の(標準的な)
-類似は
と定義されます。
であることが分かりますが、この「極限
をとれば元の概念に戻る」という性質が、
-類似の基本です。ただ、これだけでは
-類似の候補は無限に考えられるため、良い
-類似の数学が展開されるためには、「何らかの意味での由緒正しさ」のようなものは必要な気がします。ただ、私には
-類似を語る資格があるほど勉強できていませんので、これ以上は語れません。
SchurはFibonacci数列の
-類似として「
-Fibonacci数列」
を
,
および漸化式
で定義しました。確かに
が成り立つため、これはFibonacci数列の
-類似となっていますが、ちゃんと由緒正しさを持っています。というのも、この
-Fibonacci数列から、Hardyが「Rogers-Ramanujan恒等式よりも美しい公式を見つけ出すことは難しいだろう...」と言ったとされるRogers-Ramanujan恒等式(の第一恒等式)
が導かれるのです。この由緒正しい
-Fibonacci数列から、自然に
の元を
と定めることにします。ただし、このとき、
には整数等を代入して考えていることにします(代入する場合は記号を変えた方がいいかもしれませんが、記号の濫用です)。
そして、非常に面白いことに、
は代数的無理数であったけれども、
に1以外の整数を代入すると、
はソ超越数になっていそうだということをAnzawa-Funakuraは発見しました。面白い。
しかし、
における超越性を示すには「「何とか素数の無限性」を無限通り証明する」必要がありました。簡単ではないはずですが、以下が、Anzawa-Funakuraの結果です。
定理 (Anzawa-Funakura [AF])
代数体に関する一般化リーマン予想
*4を仮定する。このとき、

が平方因子を持たないような

より大きい整数であれば、

はソ超越数である。
一般化リーマン予想というバケモン級未解決問題を仮定することによって、(もう一つの仮定「平方因子を持たない」の下で)
のソ超越性の証明に成功したのです。当時、かっこいい結果だと思いましたし、それと同時に、「一般化リーマン予想の仮定は外せないものだろうか」と感じました。でもアイデアはすぐには湧かず。
あれから数年が経過し、今回の我々の結果は次です。
定理 (Matsusaka-Seki [MS])

が

より大きい整数であれば、

はソ超越数である。
遂に、この結果を証明することができました!!!
証明の具体的内容に興味がある場合は論文を見ていただきたいですが、証明の構造は簡単には次のようになっています: まず、Luca-Zudilinが[LZ1]において、「
が
より大きい整数であれば、
はロ超越数である」ということの証明を見出しました。その証明にはAnzawa-Funakura論文 [AF] の主結果を用いる必要があります。その後、彼らは [LZ2] において別の数のロ超越性を示すのですが、[LZ2] の匿名の査読者がその証明をソ超越性に拡張します。そして、その拡張された論法を [LZ1] の証明に組み込むことによって、[LZ1] のロ超越性をソ超越性に拡張しています。我々の貢献はこの「組み込み」等にありますが、元の [LZ2] の発想はすごくて、古典的整数論の最高到達点ともいえる(自然密度版)Chebotarevの密度定理と、Fordによる最先端の結果の合わせ技で一般化リーマン予想の使用を巧みに避けていますが、絶妙なバランスで証明されています。
示されたということは「何とか素数の無限性」が言えまくってるんですよね。
なる素数
は無限に存在するわけです。
零因子と無理数
環
については、
が成り立ちます。つまり、零因子でなければ可逆元です。
ですから、

の「0ではない零因子」は無理数
が成り立ちます。非零性も零因子であることも、それぞれ「何とか素数の無限性」を表し、無理性は無限通りの「何とか素数の無限性」を表すため、上のimplicationは
二種類の「何とか素数の無限性」が、無限通りの「何とか素数の無限性」を強制する
*5
と読むことが可能です。また、
においては
の場合などとは違って、無理性を示す必要はなく、非零零因子であることを示せば十分ということになります。もちろん、可逆な無理数も存在するため、いつでもそうというわけではありません。ただ、零因子であることを証明するのがすごく難しい場合に、その弱い版の結果としてとりあえず無理性を証明するという方針が可能となります。
上の[AF]や[LZ1]の結果もそうですし、一般に数学では問題が難しい場合にそれより弱い結果を示すということは重要であることが多いです。弱い結果を示しても本来の問題が解かれたことにはならないですが、とりあえず本来の問題が棄却されないという点は予想の根拠等として有効です。また、弱い結果の解き方を他の数学者(あるいは将来の本人でもいいですが)が発展させることによって、あるいは1つのingredientとして他の議論と組み合わせることによって、本来の問題が解けることだってあります。上の
のケースは実際にそうでした。
弱い結果を示すことの重要性が認識できたとき、次の視点として、「どう弱められるか?」が非自明だったりします。例えば、コラッツ予想は有名な未解決問題ですが、Applegate–Lagariasがある種の弱コラッツ予想を解決しています。それは「
半群と彼らが呼ぶ半群が任意の正整数を含む」と定式化されるのですが、コラッツ予想は解けないけど、この形の弱コラッツ予想であれば解けるというのは非自明な発見に思われます。
ある「何とか素数の無限性」が難しい問題だったとして、それを
のある元の零因子性に翻訳し、仮にその数の非零性は解けているという状況であれば、その数の無理性を狙うことは元の難問を弱めた問題となっているわけです。この視点は、人間的には、
を考えることによって初めて得られるものかもしれません。
の無理性
対数関数は基本的で重要な関数ですが、
においても対応すると目される写像
が考えられています。対数関数の値、例えば
は昔証明を解説したように無理数です:
integers.hatenablog.com
すると、
における類似性を期待するのであれば、
の無理性が気になります。
既に述べたように、
は古典的な「何とか素数の無限性」と関係があり、
非Wieferich素数の無限性
が零因子
Wieferich素数の無限性
でした。このうち、非Wieferich素数の無限性についてはSilvermanがABC予想の仮定の下で証明しています。
一方で、Wieferich素数の無限性(1093と3511の二つしか見つかっていないけれども、無限に存在する可能性はある)は全く解ける見込みのない状況です。であれば、「
の無理性」をWieferich素数の無限性を弱めた問題として捉えることができます。
そうして、今回以下を証明することに成功しました。
定理 (Matsusaka-Seki [MS])

が無条件に成り立つ。特に、Silvermanの結果と合わせると、ABC予想の仮定下で、

は無理数である。
例えば、
が示されていますが、これは「何とか素数の無限性」に翻訳すると、
を満たすような素数の無限性ということになります。OEISのA125854によれば
を満たす素数は 3, 29, 37, 3373, 2001907169 の5つが見つかっていますが、そうでない素数の無限性がちゃんと証明されたということになります。
これはWieferich素数が無限にあった場合に強制される無限性ですが*6、Wieferich素数の無限性無しで証明できたということでもありますし、Wieferich素数の無限性という難問に対する理論的進展を与えることができたということでもあります。
参考文献
[AF] T. Anzawa, H. Funakura, Congruences for the
-Fibonacci sequence related to its transcendence, Ramanujan J. 63 (2024), no. 4, 1057–1072.
[LZ1] F. Luca, W. Zudilin, Irrationality and transcendence questions in the ‘poor man’s adèle ring’, Ramanujan J. 67 (2025), no. 4, Paper No. 88, 10.
[LZ2] F. Luca, W. Zudilin, Poor man’s transcendence for Frobenius traces of elliptic curves, to appear in Advanced Studies in Pure Math.
[MS] T. Matsusaka, S. Seki, Some results on naive transcendence in the ring of integers modulo infinitely large primes, preprint, arXiv:2604.25566.
[R] J. Rosen, A finite analogue of the ring of algebraic numbers, J. Number Theory 208 (2020), 59–71.
[RTTY] J. Rosen, Y. Takeyama, K. Tasaka, S. Yamamoto, The ring of finite algebraic numbers and its application to the law of decomposition of primes, J. Number Theory 263 (2024), 335–365.