本記事は 日曜数学 Advent Calendar 2023 の4日目の記事です。
特に書きたい内容があったわけではないのですが、ノリで登録してしまいました。
その結果、書く内容を中々思いつくことができずにいたのですが、渡邉究先生の以下の投稿を見て、これで何か書こうと思い立ちました。
簡単な内容まとめ
上記積分は
の の場合であり、この積分族は円周率の無理数性を証明する近似列の候補である。
より優秀なものとして
という候補も考えられるが、 や では円周率の無理数性証明には届きそうもない。
にも拘らず、本来届くはずのない が実は円周率の無理数性を知っているのだという驚愕的事実に我々は到達する。
関孝和と円周率
最近、岩波書店の『関孝和全集』が出版されたことに影響を受けて関孝和が自分の中でアツいのですが、先日1つ記事を書いたのでまだの方は是非読んでいただきたいです。
integers.hatenablog.com
本題からは少しずれますが、この節には関孝和の円周率研究の話を少しだけ書きます。
円に内接・外接する正角形を考えて、その周長を求めることにより、を大きくとればとるほど円周率の良い近似値が得られます。アルキメデスはこの方法によって の場合を考えて、
程度の結論を得ているそうです。
2003年の東大の入試問題はメッセージ性があり*1、入試問題としての難易度の適切性を考えても非常に優れた入試問題だと感じます。一方で、示される結果だけを見ると、2000年以上前の結果の方が優れており、過去の偉人は凄いなあとも感じます。
さて、関孝和も円周率の計算を行なっているのですが(『括要算法』の巻貞)、その手法がアルキメデスの方法を超えたものである点が強調できます。以下、[一巻] p.513〜p.520で展開されている解説を参考にしています。
準備としてはやはり正多角形の周長を求めるのですが、関孝和は直径の円に内接する正角形の周長 の近似値をあらかじめ に対して求めています。例えば
です(この時点では円周率と小数点以下9桁一致しています)。これを基に
として、円周率の近似値「微弱」を得ています。実際にはこの式から小数点以下18桁まで正確に出るそうです*2。
この式がどのようにして導出されたかについては『括要算法』には書かれていないそうですが、次のように解釈することができます(なお、松永良弼による後に整理された記述があるそうです)。
基本的な考え方は図形的に得た数値から何らかの法則を見出して、図形的には計算していない , の値を推測により補間し、極限として円周率を計算するというものです。
階差数列 が近似的に等比数列のように振る舞うことが観察・予想できるため、手にしているデータの中で一番番号の大きい
を公比として採用し、
と補間していきます。すると、
と円周率の近似値が得られ、これは関孝和の計算式に一致しています。
ポイントは関孝和が既に無限等比級数の和の公式を手中に収めていたことです。これは増約術と呼ばれ、『括要算法』の巻亨に書かれています*3。
円周率は周期である
有理数係数の1変数多項式であって恒等的にではないものの根になる複素数を代数的数とよびます。例えば、 は の根、すなわち方程式 の解なので代数的数です。このような代数的数の世界には定義からは想像できないほど豊かな理論が眠っており、そのうちの幾つかについてはつまびらかにされています(例えば、高木貞治先生による類体論など)。
円周率は代数的数ではありません(リンデマンが1882年に証明)。このような代数的数ではない複素数は超越数とよばれています。「整数論的に面白い現象は代数的数の世界でしか起こらず、超越数の世界は面白くない」とは全く思われていません。21世紀に入って、円周率を含み代数的数全体の集合より広い数の世界であって、なおかつ整数論的に面白い理論があるに違いないと考えられている新世界の探究が活発になっています。ここでいう新世界とは、コンセビッチとザギエによって導入された「周期の世界」のことを指します。
「周期」は簡単に述べると積分で表される複素数のことです。「積分」の部分をもう少し詳しく言うと、「有理数係数多項式を用いて定義されるユークリッド空間内の領域上における有理数係数有理関数の絶対収束する広義リーマン積分」となるでしょうか。円周率は
と表すことができるため、周期であることがわかります。
有理数近似とクオリティー
実数を有理数で近似したいんですよ。 を実数として、有理数 (は整数、は正の整数)との差の絶対値
を小さくしたいのです。
実数がどうやって定義されるかを思い出せば、有理数で近似できることは当たり前なんですが、優秀な近似有理数を見つけたいです。円周率のよく知られた優秀な近似有理数としては があります。
円周率の小数展開をある程度暗唱できる人なら、もっといい近似が簡単に得られると思われるかもしれません。例えば、
なので、有理数 の方が円周率に近いことがわかります。ですが、実は の方が よりも円周率の近似有理数として優秀な点があります。それは「分母の大きさに対する近さ」を比べることによりわかります。
と
を見比べてみてください。実数の定義から、単に有理数との差の絶対値だけを考えるならば幾らでも小さくできます。これは当たり前のことです。ですが、このように差の絶対値を、近似する有理数の分母の冪乗として表したときの指数を考えると、この値をどれだけ大きくとれるかということは非自明な問題となります。
この指数部分を近似有理数のクオリティーとよびます。円周率の近似有理数として、 のクオリティーは であり、 のクオリティーは です。
クオリティーが大きいほどより優秀な近似有理数であるという立場に立てば、 は よりも優秀であるということになるのです。
円周率の近似列候補
前節の内容を踏まえると、
を円周率の1つの近似有理数を得ることだけで終わるんじゃなくて、族にしたくなるんですよね。それで安直に思いつく例が
です。 とすると、 であり、区間 における の最大値は なので、余裕で ()は成り立っています。
例えば、
であり、
の円周率に対するクオリティーは です。
であり、
の円周率に対するクオリティーは です。
ですので、最初はクオリティーが超えで幸先良かったわけですが、 を見るとクオリティーがを切ってしまっています。
そして、[B]によれば が与える近似列の近似有理数のクオリティーの極限値は約らしいので*6、この近似列では円周率の無理数性はでないことになります。
他にも積分で列を作る工夫は色々考えられますが、例えば次の候補列があります:
であり、
の円周率に対するクオリティーは と15番目でもを超えています。この調子でずっとより大きければいいのですが、クオリティーはに向かうらしく、よりは良いものの、やはり円周率の無理性証明は得られません。
うーむ。
が無理数であることの証明
失敗例しかないかというと全くそんなことはなく、ここでは円周率以外の周期における成功例を1つ紹介しておきます*7。
とおくと、
と計算されるので、 がわかります。また、 の区間 における最大値は です。
なので、前節の判定法により は無理数であることが示されました。
ズディリンの判定法の証明の簡単な解説
詳細は原論文を見ていただくことにして、キーとなる部分の解説を試みてみます。
が無理数であることを証明するために1次結合 を考えていましたが、例えば、 の形をした小さな絶対値をとる1次結合を上手く構成すると、「 と の少なくとも1つは無理数」というタイプの結果が得られることがあります。
これは初めて聞いたときは「どうやって証明するんだ!?」と思うタイプの主張ですが、 と がともに有理数だと仮定してとの間の整数を作ればいいだけです。
さて、実は が無理数であることを証明するには 型の1次結合しか使えないわけではありません。というのも、例えば、もし
と
の少なくとも一方が無理数である
ということが言えれば、 は無理数であることが従います(対偶を考えてみましょう)。ということは、 とか とかどんどん冪を増やしても同様のことが言えるため、
のような形の小さな絶対値をとる列をうまく構成することができれば、それでも が有理数であるという仮定のみからとの間にある整数を作ることができるかもしれません。
以上の観察により、列の探索範囲を広げることができます。問題はどうやって を作るかですが、ズディリンが発見したのは、 が前述の各仮定を満たす場合には、 を基に を構成することができるというものです。
そうして、 そのものはクオリティーがより小さい近似列しか生み出せず、 の無理数性を証明できそうにもないにも拘らず、別の列である を生み出すことができるため、実は が無理数であることを証明できてしまうというストーリーが現実のものとなるのです。
具体的には
と定めます。すると、各条件から
であり、より強く
が言えます。一方で、行列式の計算により
という別表示が得られるため、
と評価できます。よって、もし が有理数であれば、
なる評価からとの間の整数が得られます*9。
円周率が無理数であることのズディリンによる証明
については
および、 ととることができ、 は より少しでも大きければOKでした。
条件 については、 は自明なので、
であればOKですが、これは
と言い換えられて、 があるおかげで成立することがわかります。そして、
とより小さいため、ズディリンによる新しい無理数判定法が満たされて、 由来で円周率の無理数性を証明することができました。
ん????????
より小さくないやんけ!!!!
どうやら、 のままではズディリンの判定法を使っても円周率の無理数性は証明できないようです。
そこで、 の代わりに次の を考えることにします: が偶数のときは、
とし、 が奇数のときは
このとき、 が成り立ちます。従来の「無理数判定法」を使うことを考えると
とみるか
とみるかなので、 と で変わりません(そして、円周率の無理数性は証明できません)。一方で、
なので、ズディリンの判定法が適用できれば円周率の無理数性が出ることになります。
ただ、今の場合は脚注8が嘘になっていて、 の偶奇での場合分けのためにズディリンの判定法で仮定されていた形の積分表示になっていません。なので、ズディリンの判定法自体を少し修正する必要があります。
そこで、全ての について
という設定を考えて、
を考えることにしましょう。すると、として、
が言えます。行列式の性質から
が成り立つため、 に対して を考えるとき、
という評価に変更となります。従って、 の場合であっても、 倍した条件
を満たせば円周率の無理数性が出ることがわかりました。 は今の場合は より少しでも大きければOKであり、
なので、今度こそ円周率の無理数性が証明されました。
以上、お読みいただきまして誠にありがとうございます。
日曜数学 Advent Calendar 2023 の次の記事はTaichi Aokiさんによる『 平面上のケーキを直線三本で面積7等分したい(後編)』です。
追記
円周率が無理数であることを曲芸的に証明して何の意味があるのかと思われるかもしれませんが、この話の何が凄いかというと、クオリティーがを下回ったことによって特定の実数(例えば無理数であることが未解決のもの)の無理数性証明に失敗したと考えられていた近似列が復活するかもしれないということです。
参考文献
[一巻] 上野健爾、小川束、小林龍彦、佐藤賢、『関孝和全集 第一巻 現代語訳』、岩波書店、2023年
[B] F. Beukers, A rational approach to , Nieuw archief voor wiskunde Ser. 5 1 (2000), 372–379.
[Z] W. Zudilin, A determinantal approach to irrationality, Constr Approx 45 (2017), 301–310.