は254番目の素数です。1609年にGalileo Galileiが天体望遠鏡を用いて人類初の天体観測を行いました。その400年後である2009年が世界天文年と呼ばれ、各地でイベントが行われたのは記憶に新しいです。
さて、私は兼ねてからとある願望があります。
望遠鏡和という専門用語を日本の数学界に広めたい!!
望遠鏡和の例
まず、例題を三つあげます:
解答.
解答. 例題1より、.
これらの例題のように「隣同士の数を消していって和を求める」方法は高校数学においても、大学数学においても極めて重要かつ有用な手法です。より一般的に書くと
更に、 ならば が成り立つ。 ―②
となります。この手法は重要でありながら、広く使われている固有の専門用語がないように思われます。「このように差の形にすると隣同士が綺麗に消えるので…」のように文で表現するしかないのではないでしょうか? これでは不便です。そこで、この手法に専門用語として「望遠鏡和」という名前を付けて広めたいのです(正確には手法ではなく、この形の和のことを言う)。検索してみると、「和の中抜け」という言葉を使っている人がいるようですが、Google検索で10件しかヒットしないので広く使われているわけではないようです。意味は分かりやすいですが、俗語感が強く、専門用語としてはふさわしくないように思います。ただ、このような言葉を用いている人達は「この手法に用語が欲しい」と思っていたのだと思います。
望遠鏡和と呼ぶ理由
以下、「なぜ望遠鏡和と呼ぶことを提唱するか」を解説します。
答えは簡単で、英語圏には既に専門用語"telescoping sum"があるからです。そして"telescoping sum"の訳語として望遠鏡和を充てています。英語圏で広く用いられている専門用語があったとき、それを日本語に訳して使用するのはそれなりに妥当であると考えます。
関連する言葉として、"telescoping series", "creative telescoping"という専門用語があります。このうち、"creative telescoping"(考えている和を望遠鏡和の形にうまく変形すること)の初出は
A. van der Poorten, A proof that Euler missed... Ap´ery’s proof of the irrationality of ,
An informal report, Math. Intelligencer 1 (1978/79), no. 4, 195–203.
です(この論文の内容については別の記事で取り扱う予定です*1 )。"telescoping sum"および"telescoping series"という用語がvan der Poorten以前に既に用いられていたかは分かりませんが、現在では英語の文献では頻繁に用いられています。"sum"は「和」を、"series"は「級数」を意味します。通常、「級数」という用語は無限和に対して用いられる用語なので、上記①を"telescoping sum"(望遠鏡和)、②を"telescoping series"(望遠鏡級数)と呼ぶことにします。例えば、例題1、例題3は望遠鏡和の問題であり、例題2は望遠鏡級数の問題です。
なぜ"telescoping"なのかを解説します。実は、望遠鏡和に限らず、望遠鏡の鏡筒を畳み込む様に似た現象に"telescoping"という言葉を用いる慣習があるようです。そのような構造のことを"telescopic"(テレスコピック)というようで、Wikipediaに記事があります。
Telescoping (mechanics) - Wikipedia
テレスコピック - Wikipedia
そうして、「隣り合う項をバサバサと消していってとだけが残る」様子が"telescoping"に思えるため、このような名称が付いたと考えられます。
実は、「望遠鏡和」という日本語は殆ど見たことがないのですが、"telescoping series"の日本語訳としての「望遠鏡級数」はいくつかの文献で用いられています。この差別は英語版Wikipediaにも見られ、"telescoping series"の項はあるにも関わらず、"telescoping sum"の項はありません。
Telescoping series - Wikipedia
このページの日本語版に「望遠鏡級数」という訳語が見られるのですが、記事のタイトルは「畳み込み級数」となっています。
「望遠鏡の鏡筒を畳み込む様」の後ろの部分だけをとった用語と言えます。また、「差分法(method of differences)としても知られている」と書かれています。「畳み込み級数」や「差分法」は意味はよく分かりますが、デメリットがあります。それは「畳み込み*2」という用語が「畳み込み積」という市民権を得ている用語と混乱してしまう、「差分法」という言葉が同名で既に微分方程式の解法を表す用語として市民権を得ているということです。これに対し、「望遠鏡和」および「望遠鏡級数」を用いれば(類似の定着した数学用語がないため)、他の用語や概念と混乱することなく意味を特定することが出来ます。
また、「望遠鏡級数」はいくつかの文献に見られると書きましたが、「望遠鏡和」の方が重要です。実際、高校数学の問題で有限和の問題に出会いますし、級数の場合も厳密には有限部分和でまず考えた後に極限をとるため、「望遠鏡和」なしに「望遠鏡級数」を語ることは出来ません。更に、高校数学に限定して考えれば、もし「望遠鏡級数」という用語しかなければ「級数」を習う数Ⅲでしか教えることが出来ないことになりますが、「望遠鏡和」ならば数Bの段階でこの言葉を導入できます。実際、数Bでこれらの手法を取り扱うため、「望遠鏡和」という用語があれば便利です。
訳の妥当性
最後に、telescopingを望遠鏡と訳すことの妥当性について議論します。これについては妥当ではない可能性も高いです。「望遠鏡」自体は英語では"telescope"です。なので、正確には"telescope→telescoping"の変化に対応する日本語を入れる必要がありますが、telescopingの定まった訳語はないようです。例えば「テレスコーピング現象」という用語があるようですが(テレスコーピング - Wikipedia)、カタカナにするのは少し抵抗があります。日本語の用語を作る際に、可能であるならばカタカナは用いない方がよいでしょう。個人的には「望遠鏡和」と訳すことが許されるのであれば、用語としてコンパクトで良いと感じます。実際、"telescoping series"の訳語として「望遠鏡級数」という訳語を充てた人がいるようなので、「望遠鏡和」も許される範囲だと信じます。例えば、いい例ではないかもしれませんが、"finitely generated"という用語は「有限生成」と訳されます。「有限」に対応する英語は"finite"ですが、"finitely"は副詞なので「有限に」や「有限の」が典型訳です。にもかかわらず"finitely generated"の"finitely"の部分には「に」や「の」が訳出されていません。このような例を見ると「望遠鏡和」は妥当な訳語だと考えます。
「望遠鏡和」という言葉が日本で広く用いられるようになることを願います。
追記: 以下の書籍でも望遠鏡和という訳語が用いられていることをスペーシアさんに教えていただきました。
Joseph H. Silverman (著), 鈴木 治郎 (翻訳),『はじめての数論 原著第3版 発見と証明の大航海‐ピタゴラスの定理から楕円曲線まで』, ピアソン桐原(2007), 丸善出版(2014), https://www.amazon.co.jp/はじめての数論-原著第3版-発見と証明の大航海%E2%80%90ピタゴラスの定理から楕円曲線まで-Joseph-Silverman/dp/462106620X
*1:書きました: integers.hatenablog.com
*2:普通はconvolutionが畳み込みです。